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末吉地域

幕末から明治初期にかけ、長戸路家が御船預り(おふねあずかり)や地役人だったこともあり、長戸路屋敷や末吉小学校開校関係のものが残っています。戦前の天草(てんぐさ)景気、サンゴ景気などで、経済的に恵まれた土地柄でもありました。
 太平洋戦争時に、末吉小学校が野戦病院に使われ、海軍の特別攻撃兵器であった「回天」「震洋」が配備されました。「回天」「震洋」壕跡や震洋隊の碑、撃沈された疎開船東光丸(とうこうまる)の碑があります。名古(なこ)の展望・洞輪沢(ほらわざわ)漁港については、八丈八景「名古秋月」参照

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