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東光丸殉難者慰霊の碑

東光丸(約530t)は陸軍の徴用船で、八丈島からの疎開(そかい)にも使われました。1945(昭和20)年4月16日、軍関係者のほかに、最後の疎開船ということで支庁、役場、学校の職員など幹部級の人たちが重要書類(大賀郷(おおかごう)村と末吉(すえよし)村の戸籍簿・学籍簿など)を携行して乗船しましたが、御蔵島と八丈島の中間地点あたりで米軍潜水艦シードッグの魚雷によって撃沈されました。乗船者160人のうち救助されたのは11人のみで、島民は55人全員が死亡しました。この犠牲者(ぎせいしゃ)の慰霊碑は、生存者の一人で、衛生兵だった豊田市三氏(静岡県引佐郡気賀町)と沖山正智氏など島民の尽力で建てられました。豊田氏は、「しばらく浮いていた船の中の大声で泣き叫ぶ声が忘れられなかった。それで碑を建てる気持ちになった」と述べています。戦争の悲惨(ひさん)さを語り継ぐ碑といえます。

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