昔は湖水があったのでこの名がつけられたといわれています。海抜が高く、霧のかかりやすい地形で、夏の暑さの中でも、アシタバが生育するような場所です。 3本の道があり、一番左は開拓地へ行く道(さらに行くと三原山の山頂に続く)、真ん中の道は元は開拓地に行く道でもありましたが、現在はゴミ最終処分場に行く道、一番右の道は旧道で最終処分場の裏を進んだ後は三根(みつね)地域に続く旧道です。途中に渡明神(わたりみょうじん)が祀られています。 戦後、入植者によって開拓されましたが、学校まで5㎞ほどもあり、電気・水道もない生活で、1970(昭和45)年に集落全戸が離農し、水海山集落は消滅しました。 1880(明治13)年に洋乳牛を導入して初めての牧場が開かれた場所でもあります。現在はゴミ最終処分場が設けられています。 ※現在、道路は整備されていないため立ち入ることはできません。