丹娜婆伝説は、かつて大津波があり、ただ一人生き残った妊婦(丹娜)が男子を産み、その母子が夫婦となって島の祖となったという伝説です。この母子交合伝説は、原初的な結婚形態とされ、フィリピン などの南方には存在しますが、日本では八丈島にしか存在しないものです。八丈島では、この伝説が大賀郷(おおかごう)・三根(みつね)・末吉(すえよし)地域に残っていて、大賀郷・末吉には古跡が残っています。旧家に残る古文書「三嶌神社明細書上(控)」には、1871(明治4)年に一つひとつ改めたという島内の神社・旧跡が記されており、丹娜婆伝説もこの中に含まれます。末吉にある丹娜婆の墓は1887(明治20)年に建てられ、大賀郷の丹娜婆之墓由来碑は1985(昭和60)年に建てられました(跡地はもともとからあった)。 一般的には、丹娜が津波で流され、艪にすがって大賀郷河口(こうくち)に流れ着いた(艪抱女子(ろかこみにょこ)ともいう)としていますが、末吉地域の話は、普通の津波ではなく山津波で、松(椎)の枝に長い髪の毛が引っかかって助かったことになっています。末吉の集落の標高は100mぐらいはあるので、普通の海津波の被害は考えられず、話の内容は現地に適応しているのだと思われます。