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八丈八景は、1867(慶応三)年、近藤富蔵・鹿島則文が主宰した八丈島の詩会が、服部敬次郎とともに、山水画の主要な画題となっている中国の「瀟湘(しょうしょう)八景」になぞらえ、八丈島の八つの名勝を選んだものです。この八景に、八丈島の文人たち(島民や流人)が、和歌や俳句、漢詩などを寄せたものが残されています(『八丈実記』所収)。
八景は、後の2文字は固定されていて、その前に八丈の地名を当てはめているので、情景は必ずしも八丈島にあっていないものがあります。
この中の絵図2種は、流罪になった鹿島則文が、明治維新で赦免された時に持ち帰り、鹿島家が所蔵するものです。写真は現在のもので、近似したものを使用しています。なお、鹿島家が保管する2種の絵図は、すべて1枚絵ですが、『八丈実記』には、これと趣や紙数の違う絵図が入っています。