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神湊帰帆

神湊は三根(みつね)地域にある港で、八丈島の難風である西風をさえぎる所にあります。このため、八丈島の最も重要な港でしたが、玄武岩の小さな入り江で本船は直接接岸できず沖に停泊し、艀(はしけ)で人や荷物が運ばれていました。これでは不便なので、現在の底土港(そこどこう)が商港として整備され、1965(昭和40)年から接岸できる港として利用されるようになりました。 その結果、神湊は漁港として大規模整備がなされ、現在のようになりました。一番海側の防波堤の所は軍艦といわれ、戦後建造中だった駆逐艦を沈めて突堤としたところでした。戦後の武装解除の時に、海中投棄する銃砲弾が爆発し、日米の兵士70人ほどが死傷した場所でもあります。    底土港に接岸できない大型クルーズ船が八丈島に寄港する際は、ここの沖に停泊し、乗客が通船で上陸する港でもあります。

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