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大項目解説

近代化の始まりと変遷する産業
明治時代に入り、流人制度が撤廃されても、島はしばらく江戸時代とそう変わらない暮らしが続いていました。
しかし明治後半になり、定期航路の開設や島内をつなぐ道路の整備、物納(黄八丈)から金納への変化など、次第に島の近代化が始まり、大正時代から昭和初期にかけては、島の特性を生かした畜産・酪農、林業などの産業も誕生します。
戦後は港湾整備により、漁業が主力産業になりますが、その後漁獲高が激減し、現在では花卉園芸が主力産業となっています。

急速に消えつつある島独自の文化
八丈島は、江戸時代の流人や各地からの漂着船の影響により、くらしや住居、民俗芸能、方言などに独自の文化を持っています。しかし、明治〜昭和初期生まれの世代の減少や、テレビ・インターネットの普及により、こうした文化が急速に消えつつあります。

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