ガイド選択画面に戻る

大項目解説

本土との定期航路が始まった江戸時代
江戸時代になって政権が安定すると、経済・物流活動が活発になり、和船や国内の航路が発達します。
八丈島は幕府が直接管理する支配地となり、島と江戸との定期的な行き来が始まり、島と本土との関係がより強まります。
幕府は御船と呼ばれる絹織物を運ぶ公式船2艘(後に3艘)を島に預け、それぞれ江戸との間を年に1往復していました。

幕府の伊豆諸島への遠島処分
幕府直轄地となった伊豆諸島は、韮山代官の支配のもと、本土で遠島処分を言い渡された人々が送られてくる配流地になります。
江戸初期から明治初期の間に、伊豆諸島全体で 約5,000~6,000人の遠島処分者が送られたとみられ、八丈島には、約265年間に約1,900人※が 送られました。
※付き添い人など約100人を含む
※記録により人数には差があります。

前のページに戻る