伊豆国に属した古代の八丈島
八丈島は奈良・平安時代には伊豆諸島の他の島々と同様、伊豆国の一部として律令国家の支配に組み込まれていたと考えられます。
伊豆諸島は古くから噴火・造山活動が盛んで、人々はこれを神の仕業と考え、三島(御島)神として崇めました。八丈島には国司が祀る神社もあります(式内社といいます)。
八丈島は古代には「沖島(隠岐島・奥島)」と呼ばれ、八丈絹の産地だったことから八丈島と呼ばれるようになったとも考えられています。
島名の由来については「八嶽島」や「八郎島」によるとの説もあります。