江戸時代の島の経済を支えた黄八丈
江戸時代には年貢は穀物や金銭で納めるのが普通でしたが、八丈島では穀物の代わりに特産品である絹織物(黄八丈)を年貢として納めました。その量は役人が検地(調査)した田畑の面積によって割り出され、織物の品質も役人によって厳格に管理されました。黄八丈は将軍家の御用品となり、大奥の御殿女中などが着用しました。
黄八丈には幕府に納める反物以外に、江戸の商人を通して販売されるものがあり、次第に一部の大名や旗本ばかりでなく、江戸の一般市民にも拡がり、その売り上げ代金で生糸や食糧、その他の必要物資を手に入れて、島に持ち帰りました。