三原川にかかる滝で、水田の用水路沿いに裏から落ちる水を見ることができることから、裏見ヶ滝と呼ばれています。三原川は雨が降っている時には水が流れるが、普段はほとんど流れておらず、他の池から導水して水を流しています。 安川と銚子の口から年中途切れることのない水を利用できた中之郷(なかのごう)地域は、集落の海岸側に延々と延びる用水路を引き、島内で水田(田原(たばら)といった)が最も多かった地域でした。もともとは、三原川に10mもある大きな樋(とい)をかけて用水路にしていましたが、長い樋用の木の確保ができなくなったため、御船預かりだった山下与左衛門がリーダーになって18世紀末に大きな熔岩を砕いて、現在の水路を通しました。最初は、造るのが無理だとして村人からあざけられたといわれています。 途中には、為朝の子どもを祀るといわれる為朝神社や為朝の子の血で染まったといわれる血の池があります。