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八丈島空港

大もとは、昭和18年末から造られた海軍飛行場で、朝鮮人労働の犠牲によって造られたものです。戦後は不定期便を経て、地方空港としては珍しいことに、1954(昭和29)年5月から東京-八丈島間に青木航空の航路が開設されました。翌年、日本ヘリコプター輸送株式会社 (全日空の前身)も参入しました。同38年に全日空1社の運航となり、その4年後に誘導路が新設され、滑走路は全長1,320mに整備されました。同45年度の全日空八丈島路線の利用率は全国1位となりました。滑走路は1982(昭和57)年に全長1,800mに延長され、ジェット機が飛ぶようになり、エプロンも反対側の富士山側に移されました。さらに、2004(平成16)年には滑走路が2,000mに延長されました。  1963(昭和38)年8月18日、藤田航空のヘロン機が八丈富士の裏側に激突。19人全員が死亡しています。

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