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薬師堂

最初に建てられた年代は明らかではありませんが、「摠廟(そうびょう。祖霊をまとめて祀る所)の神宮寺(神社と一体になったお寺)」とされているので、八丈で最も古いお堂で、大昔は三島神(八丈島では宝明神=許志伎命(こしきのみこと)神社)と神仏習合(神社とお寺が一体のものとする考え方)の関係だった時期があったと思われます。  記録では、1338年に神奈川(現在の横浜辺り)の奥山宗麟が、西見にあった宗福寺に神奈川から禅僧を招いたとされています。1430 ~1450年頃、大里に4つの寺社(優婆夷神社と大善寺(長楽寺のもと)、宝明神と宗福寺。これらは習合関係と思われる)が集められ、薬師堂や岡里神社は、そのまま岡里に残ったものと思われます。岡里神社は、優婆夷神社の元のもので、中村商店の奥あたりにあり、優婆明神を祀る優婆夷神社と岡里神社は100年ほど並置したと思われます。残された薬師堂は、その後は宗福寺の管理の下に活動していました。  薬師堂には、1390(明徳元)年の鰐口(わにぐち)があったとされていますが、鰐口は1874(明治7)年に盗まれ、本尊の薬師如来像(やくしにょらいぞう)も昭和初年に焼失しました。その後再建されましたが、1964(昭和39)年の火災で再微焼失し、再再建された現在の堂はコンクリート造りとなっています。  江戸時代には追儺(ついな)の神事で神楽(かぐら)が演じられ、雨降りの祈願も行われました。現在は病気を治す祈願をする場となっています。  祭事は12月中旬の日曜日に行われています。

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