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浮田半平功労碑

八丈島は、富士山系の海岸では、溶岩が海にせり出している場所が多く、波が荒いため、岩場だと船が破損するので、溶岩地帯に港を築くことができませんでした。そのため、代表的な港は大賀郷(おおかごう)の前崎浦で、玉石浜の不便な港でした。  この碑は、浮田半平が一村を勧誘して、1848(嘉永元)年新たに溶岩地帯にある八重根港(やえねこう)を開いた功労碑です。碑には詳しいことは書かれていないので、詳細は不明ですが、天保年間に代官・羽倉簡堂が巡検で船をつけたと思われる八重根の港を改修したというものです。流人身分の半平が具体的にどのように村民に働きかけ、どのようなことをしたのかは不明ですが、八丈島港湾変遷の歴史と労苦を知る貴重な資料と思われます。  半平は、宇喜多秀家の次男・浮田秀継11世の子孫で、1865(慶応元)年死亡しました。宇喜多流人は、明治維新の恩赦によって、1868(明治元)年赦免され、7家が板橋に引きとられましたが、それにあたって、半平の妻加登(かと)が記録を残すために建立したものと思われます。    ほぼ長方形の八丈産の自然石に素朴な楷書で彫られています。元は馬路(うまじ)墓地の、新しくできた遊水地の大里集落側の尾根の左側麓の道脇に ありましたが、現在は東里・稲場の墓地に建て替えられています。

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