1888(明治21)年、八丈島の南約300kmにある無人島の鳥島開発を八丈島出身の玉置半右衛門が開始し、アホウドリの羽毛採取で大成功を収めました。1902(明治35)年5月8日、その鳥島が噴火し、島民125人全員が死亡しました。碑は、島民の多くが八丈島出身であったため、そのことを悲しんで、建てられました。文は当時、朝鮮から亡命していた兪吉濬(ユギルチュン)が頼まれ、書いています。半右衛門は鳥島のアホウドリが絶滅寸前となっていたこともあり、噴火時、やはり無人島であった沖縄県南大東島の開発を計画し、1900(明治33)年、南大東島の開拓に成功しました。同島でのサトウキビの製糖事業もその後、一応の成功を収めています。八丈島と南大東島は姉妹島です。