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御赦免花の祖慈運法印の碑

慈運法印は1747(延享4)年3月流罪。無罪を叫び続けたが受け入れられずに1754(宝暦4)年5月17日断食(だんじき)死しました。65歳。死後、慈運の墓に植えたソテツの雄花が咲くと、不思議に赦免状が届いたので、誰言うとなく、そのソテツのことを赦免花というようになりました。墓は馬路(うまじ)の佐々木伝作家墓地の片隅にあったものを、1967(昭和42)年8月、宗福寺境内に移した。ソテツ は、内地に売られてしまい、現在は本来のものはありません。 ※建物内には許可無く立ち入ることは出来ません

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