浄土宗(じょうどしゅう)のお寺。八丈島の一般のお寺はすべて浄土宗です。 1208(承元2)年為朝の子、次郎為宗の創建と伝えられています。創建当時は西山から噴煙(ふんえん)が出ており、 それが香炉(こうろ)に似ていることから「香炉山弥陀寺(こうろさんみだじ)」と称し、西山の麓(大賀郷西見地区・寺山)に建っていた、 とされています。1394〜1428(応永年間)の噴火(津波という記録もある)により破壊され、 1430(永享2)年、寺を大里に移されました。1440(永享12)年、神奈川(現在の横浜あたり)の宗興寺に属し、 「甑峰山宗福寺(そうほうざんそうふくじ)」と改称。曹洞宗(禅宗)となり、これを中興の開山としました。 1456(康正2)年、神奈川の奥山宗麟の家来が、島の長であった霊加入道の子を討ったため、霊加は降参して島を神奈川へ渡し宗的と改め、 宗福寺の住職となりました。宗的は、京都に絹を送って、大日如来像や阿弥陀如来像を造らせました。 戦国時代、小田原北条氏の支配下になると、1558(永禄元)年、伊豆下田の浄土宗海善寺の末寺となりました。 これを機に僧侶の確保が難しい問題を解決するため、機織女という名目で妻をおくようになりました。 1931(昭和6)年、お寺の場所をめぐり対立が起き、開善院ができるとともに、宗福寺は大里から現在地に移建しました。 寺には快慶作と伝わる大日如来像、仏師民部作の木彫、宇喜多秀家親子3人の位牌、慈運法印の墓などがあり、 都・町指定文化財が多数あります。※建物内には許可無く立ち入れません。